阿武松部屋の力士、阿武剋(おうのかつ)関。
出世スピードがはやく、まげを結っていない姿が有名ですよね!
今回はそんな阿武剋の出身高校・大学といった学歴や経歴を調査していきます!
阿武剋の学歴は?
それでは高校から見ていきましょう!
阿武剋は強豪相撲部のある高校出身というわけではありませんでした。
阿武剋の出身高校
阿武剋の出身高校は旭丘高等学校です!
旭丘高等学校は、神奈川県小田原市にある私立の高等学校で、
偏差値40、卒業生には上原さくらさんがいらっしゃいます!
阿武剋関は15歳で同校留学第1期生として来日。同校相撲部の岸田光弘監督は、
「体重は70kg台で体は小さかったが、将来性を感じた。修正能力のはやさは群を抜いていて、『勝ちたい』という目の輝きは一番だった」と振り返る。
2年時に関東大会無差別級優勝。3年時はインターハイで準優勝。国体では神奈川チームの一員として県勢初の準優勝に貢献する。
2024年5月、同校相撲部はこれまで角界に4人を送ってきたが、十両昇進は初となったため、
後援会「こゆるぎの地より力士を育てる会」が、化粧まわしと明荷(あけに)を贈った。
阿武剋の出身大学
阿武剋の出身高校は日本体育大学です!
偏差値35~47.5、卒業生には水泳の北島康介や体操の内村航平などたくさんのスポーツ選手がいます!
大の里関とは同級生です!
大相撲に入門することを大学3年時に志し、2022年末から阿武松部屋で研修を開始する。
1日5食で体を大きくし、体重はモンゴルにいた頃と比べて約2倍となる150キロほどまで増量。
地道な土台作りで2022年11月の全国学生選手権で同じ日体大4年の中村泰輝(大の里)を決勝で破り、念願の学生横綱に輝く。
阿武剋の経歴は?
続いて経歴を見ていきたいと思います。
モンゴルに生まれ、15歳のときに日本で相撲を始めています!
生まれ~高校まで
出身はモンゴル・ウブスです!
- 中学時代には、モンゴルの地元での数学オリンピックで優勝経験がある。
- 「小学校から数学やアニメが好きで、日本の大学に行きたいという夢があった」と、15歳で神奈川・旭丘高校に留学。
- 来日後は、親元を離れ言葉も環境も違う中で本を片手に指差しながらコミュニケーションを図る日々で稽古もきつくて毎日苦労の連続だった。日本での生活に慣れていくとともに相撲の才能も開花。
- 高校3年生時にインターハイで準優勝、国体では神奈川チームの一員として県勢初の準優勝に貢献するなど活躍し、卒業後は日本体育大学へ進学した。
入門後
- 2022年末から阿武松部屋で研修を開始した。2023年9月場所前に正式に入門。
- 「阿武剋 一弘」という四股名には、自分に打ち勝つという意味で下剋上の『剋』を入れ、下の名は母校相撲部の恩師の名前を組み合わせた。
- 興行ビザの取得を待って翌11月場所で初土俵。初土俵の場所は5勝2敗だった。
- 初土俵から2場所目、2024年1月場所は5日目の3番相撲で伯桜鵬に勝利するなど実力者相手に力を発揮し、6勝1敗だった。
- 初土俵から3場所目、2024年3月場所は9日目の5番相撲で勝ち越しを決め、新十両昇進に前進と報じられる。この場所を5勝2敗で終え、5月場所での新十両昇進が決定した。
- 東十両12枚目で迎えた5月場所、千秋楽は勝利し13勝2敗の好成績だったものの優勝は逃した。7月場所は西十両筆頭で9勝6敗の成績を残し、9月場所で新入幕を果たし西前頭14枚目となる。
- 生涯戦歴 38勝15敗(6場所)※令和六年九月場所時点
阿武剋のプロフィール
- 名前:阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)
- 本名:バトジャルガル・チョイジルスレン
- 生年月日:2000年5月5日(2024年9月現在24歳)
- 出身地:モンゴル・ウブス
- 身長:185cm
- 体重:164kg
- 最高位:前頭十四枚目
- 得意技:右四つ・寄り
阿武剋の学歴・経歴まとめ
以上が阿武剋の学歴・経歴でした。
モンゴルから15歳で日本へ移り相撲をされている方でした!
最近では新入幕力士として注目されています。
阿武剋の今後のご活躍を応援しています!
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